モーガンハードの出身地と世界選手権金メダルまでの成績と画像も

モーガン・ハード

2017世界体操選手権・女子個人総合。カナダ・モントリオール、オリンピックスタジアムで行われた大会は、アメリカの16歳、モーガン・ハードが金メダルを獲得しました。

アメリカ勢は、レーガン・スミス選手も予選を第2位という成績で通過していたのに、怪我の為、決勝を棄権。アメリカの期待を一身に受けたモーガン・ハード。眼鏡をかけたそのスタイルが、一度モーガンを見たら忘れないほど印象に残ります。そんなモーガンは、中国生まれアメリカ育ち。

アメリカという国でアメリカ人として育つモーガン・ハードですが、どんなところで生まれたのでしょう。2017年からシニアとして競技するようになったモーガン。

ジュニア時代はどんな選手だったのでしょう。13歳のモーガン・ハードのインタビューが屈託なくってかわいいです。2017年にシニアになり、一年経たずに金メダルを取るまでの成績と演技は?

ジュニアのころとはどう変わったのでしょう。見ていきましょう。

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モーガン・ハードの出身地・広西チワン族自治区 梧州市ってどこ?

ハード・モーガンは、2001年7月18日生まれ。モーガン・ハードが生まれた所は、広西チワン族自治区(こうせいちわんぞくじちじく)の梧州市(ごしゅうし)。

広西チワン族自治区は、中国の南部に位置します。写真の赤い部分が、広西チワン族自治区です。

広西チワン族自治区

その広西チワン族自治区の中の吾州市というところが、モーガンが生まれた場所。下の写真の10番のところが、吾州市だそうです。

吾州市

中国の民族は、漢民族が62%、残りの38%を少数民族が占めているそう。その少数民族のうちの85%を占めるのがチワン族だそうです。

少数民族の中で最大の民族チワン族は、1,520万人。日本で言うと、大阪府と埼玉県の人口を足したくらいの人数になります。そしてハード・モーガンは養子縁組をして、アメリカへと渡ります。

モーガン・ハード

 

ハード・モーガンの経歴

2004年 ハード・モーガン、3歳の時に体操を始めます。

ジュニア時代

2014年(13歳) ジュニア・ナスティア・リューキンカップ第14位入賞。

13歳の可愛らしいモーガン・ハードが見られます。長い動画なので大体のタイムを記載します。

17:26~段違い平行棒。インタビューもとっても可愛いです。
39:45~平均台。
1:02:05~ゆか。

2014年7月 アメリカンクラシック 第8位
2014年 U.S.クラシック 第18位
2014年 P&G選手権/ジュニア 個人総合…第29位

2015年 U.S.クラシック 個人総合…第9位、段違い平行棒…第2位
2015年 P&G選手権 個人総合…第7位、ゆか…第7位、段違い平行棒…第4位

2016年 アメリカンクラシック 個人総合…第1位
2016年 U.S.シークレット・クラシック 個人総合…第5位、ゆか…第1位、段違い平行棒…第2位
2016年 P&G選手権 個人総合…第5位、段違い平行棒…第3位、跳馬…第7位

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シニア時代

2017年 シュツッツガルト選手権 個人総合…第3位

2017年4月 ジェソロ杯 団体総合…第1位
2017年7月 U.S.クラシック 平均台…第6位、ゆか…第2位

2017年8月 P&G選手権 個人総合…第6位、段違い平行棒…第8位、平均台…第5位、ゆか…第10位
個人総合でアメリカトップ6に入って以来、モーガンは、アメリカ代表に選出されています。

2017年9月 世界選手権(カナダ・モントリオール)代表に選出。
代表メンバーは他に、レーガン・スミス、ジェイド・カーリ―・アシュトン・ロックラー。

2017年10月 世界選手権(カナダ・モントリオール)
予選成績:跳馬…14.466、段違い平行棒…14.333、平均台…13.500、ゆか…12.533 トータル:54.832  予選第6位で通過。

個人総合決勝では、個人総合トータル 55.232の得点で金メダルを獲得します。

 

まとめ

『モーガンハードの出身地と2017世界選手権金メダルまでの成績と画像も』として、まとめてきました。ハード・モーガンの経歴を知るうえで、日本人にしたらあまり馴染みのない養子縁組という言葉。

アメリカでは、養子縁組はよく聞く話のようです。例えば、ハリウッド俳優のブラッド・ピットと女優のアンジェリーナ・ジョリー。3人の養子をカンボジアやエチオピア、ベトナムから迎えています。

他には、マドンナやシャロン・ストーン。有名人に限った話でもなく、一般にも浸透しているのがアメリカという国なのかもしれません。

日本にも、様々な理由で子供を産むことが叶わない方もいらっしゃることと思います。ですが、そのことを悲観的に受け止めるのではなく、その道がないのなら、この道があるわ、と前向きに次の道を選択できる心の広い社会に日本がなれるといいなと思います。

 

最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

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