美容整形外科の高須クリニック。その医院長と言えば、高須克弥医院長。フィギュアスケートの海外大会のスポンサーになっていたり、テレビにも登場したりと、何かと話題を振りまいています。
そんな高須医院長がブログであるお買い物をしたと投稿されました。そのお買い物のお値段が約3000万円。高須クリニックの高須医院長のお金の使い方は置いといて…。
3000万円のお買い物は、海外オークションでのショッピングです。何を買ったのかというと、『昭和天皇独白録』。以前『文藝春秋』から出版されたこの本の原本がオークションにかけられたのです。
何ですか、しょうわてんのうど…? 漢字が並んでいてよくわからない…。
再来年には、生前退位が正式に決まり、平成が終わり新しい年号になります。そんな平成の前の昭和天皇の時代のお話のようです。見ていきましょう。
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『昭和天皇独白録』とは?
『昭和天皇独白録』とはどんな文書なのでしょうか。
昭和天皇独白録(しょうわてんのうどくはくろく)は、昭和天皇が戦前、戦中の出来事に関して1946年(昭和21年)に側近に対して語った談話をまとめた記録。1990年に『文藝春秋』において公表された。
出典:ウィキペディア
だそうです。簡単に言うと、昭和天皇がお付きの人に口頭でおっしゃったことをメモさせた内容、ということですね。
その時に何をおっしゃったのか、それがその後の日本の動向に大きくかかわることなので、注目されているのだと思います。日本の事情や開戦するに至った経緯など、率直なお言葉がつづられているそうです。
まさに歴史が作られる瞬間瞬間で、昭和天皇が何をお感じになって、何をおっしゃったのか。それが人々の関心を集めるのでしょう。
『昭和天皇独白録』は誰が記録したのか?寺崎英成ってどんな方?
この昭和天皇独白録を書き留めたのは誰だったのか。昭和天皇からのお言葉を記録していったのは、寺崎英成(てらさき ひでなり)という方です。
寺崎英成さんは、1900年生まれの外交官。元宮内省の御用係という立場だったそう。1951年にお亡くなりになっています。
通訳も務められていた寺崎英成さん。1941年には、アメリカワシントンの日本大使館に赴任されたそうです。太平洋戦争中は、アメリカに拘留されていたそう。1942年に家族とともに帰国。ご家族は、奥さま・グエンさん、娘さん・マリ子さん。
第二次世界大戦中は、外務省に勤めていらっしゃったそうです。終戦後の1947年2月に宮内省御用掛(通訳)になられたそう。
そして、娘さんのマリ子さんが、お父様・英成さんの遺品の中から『昭和天皇独白録』を見つけ、『文藝春秋』で1990年に発表されたそうです。
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『昭和天皇独白録』内容とは?
『昭和天皇独白録』は、昭和21年3月18日、20日、22日、4月8日(2回)の5回にわたり、昭和天皇がお話になった内容をまとめたものだそうです。
大東亜戦争の要因となった直接的なこと間接的なこと。そして、大東亜戦争の経過、そして戦争が終わるに至った事情。昭和天皇のおっしゃったことがまとめられているそうです。
松平内宮大臣、木下侍従次長、松平宗秩寮総裁、稲田内記部長、寺崎御用掛の5人が記録。昭和21年3月18日~22日の3回は、お体の具合がよろしくなかったため、ベッドの上でお話されたそうです。そして4月8日の2回は、葉山の御用邸でお話になったものだそう。
日本史を揺るがすような内容ではないものの、昭和天皇自らのお言葉、とても興味があります。この本を読んだ方の感想の中には、『天皇の生の声を聞くことはまずない。昭和天皇の人としての声や時代背景など、面白く読めました。この本が出版されるに至った背景も興味深い。』投函も寄せられています。
生前退位が決まった平成という時代。新たな皇室が作られているこの瞬間に、昭和天皇のお言葉を読んでみるのも興味深いかもしれません。そして、『昭和天皇独白録』を落札された、高須クリニック院長。高須克弥院長の年齢は、72歳だそうです。様々なことに興味を持つことが、高須院長の若さの秘訣かもしれませんね。
最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。
コメントありがとうございます。