安倍昭恵の森永製菓創業者一族がすごい!家系図で解説!森永太一郎ってどんな人?

安倍昭恵

内閣総理大臣夫人の安倍昭恵さん。昨今ニュースによく登場されますね。森友学園の問題から国会へ証人喚問を求める意見まであるようです。

そんな安倍昭恵夫人は、森永製菓創業者一族の血を引いていらっしゃいます。安倍昭恵夫人自身は、『UZU』と言う居酒屋を東京神田で経営されていたり、その他にも様々な活動をされている様子がフェイスブックからもうかがえます。

そんな安倍昭恵夫人は、日本人なら誰もが知っているお菓子メーカー森永製菓のお嬢様。聖心女子学院初等科から中等科、高等科に進まれて、聖心女子専門学校の英語化を卒業されています。生粋のお嬢様ですね。

そしてその後は、電通に就職されて、立教大学にも行かれていたそう。そんな安倍昭恵夫人の華麗なる森永製菓創業者一族について見ていきましょう。

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安倍昭恵さんの森永製菓創業者一族を解説!安倍昭恵さんの旧姓は?

安倍昭恵さんのお生まれになったのは、森永製菓創業者の森永太一郎さんの家系だそうです。森永製菓創業者一族って聞くだけで、華麗なる一族って感じですね。

そんな華麗なる一族の安倍昭恵さんは、旧姓は松崎と言われるそうです。創業者の松崎太一郎さんが『森永製菓』を創立され、安倍昭恵さんのお父さん・松崎昭雄さんのおじいさん・松崎半三郎さんを森永製菓へ迎えて、日本での販売を本格化させていったそうです。

その頃に作られていたお菓子はマシュマロやキャラメル。現在でも人気の森永ミルクキャラメルは、明治時代から作られていたのですね。今でも変わらずにヒット商品ですね。

 

 

森永製菓創業者・森永太一郎が森永製菓を築くまで

森永太一郎さんの子供の頃は?

森永製菓創業者一族のまず筆頭が森永製菓を創業した、『森永太一郎』さん(1865年~1937年)。佐賀県伊万里市のご出身だそうです。

森永太一郎さんがお生まれになったのは、『森永商店』という陶磁器を扱う問屋さんだったそうです。当時、伊万里では一番栄えていた商店だったとか。ですが、森永太一郎さんが6歳の時に実のお父さんがお亡くなりになり、商売は陰りを見せてしまったそうです。

そして、それまでに築いた財産を失うこととなり、お母さんは再婚されたそうです。森永太一郎さんは、親戚の家に身を寄せることもあったそう。そして、伯父さんの山崎文左衛門さんの家に入り、山崎姓を名乗ることになります。

そこでは、商売人としての知識を勉強することが出来たそうです。読み書きもあまり出来なかった太一郎さんは勉強もしながら働いていたそうです。

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そして、19歳の時には、横浜へと移り伊万里焼を扱う有田屋と言う会社に勤めたそう。20歳でご結婚されましたが、務めた九谷焼のお店がつぶれてしまい、借金を返すために24歳の時(1888年)、単身アメリカへ渡ったそうです。お店の商品を海外で販売するのが目的

ですが、高級品の焼き物をサンフランシスコの労働者の人々に買ってもらえることはなく、仕方なく安く売り払って、日本へお金を送ったそうです。

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森永太一郎の西洋のお菓子との出会い

森永太一郎さんが、西洋のお菓子に出会ったのは、アメリカに渡り、陶磁器を高く売ることが出来なかった、そんな時だったようです。日本には無かった西洋のお菓子を作る技術を身につけたいと森永太一郎さんは考えたそう。

ですが、日本人を受け入れてくれるお菓子工場はなかなか見つからずに苦労したそうです。それでも諦めずに掃除や皿洗いの仕事をしながら過ごしていたそうです。

そして、1890年に日本に帰国した山崎太一郎さん。アメリカにわたっている間にキリスト教に入信していたために養父の山崎文左衛門さんに怒られて、元の『森永』を名乗ることになってしまったそうです。そして数カ月後、再び西洋のお菓子作りを学ぶためにアメリカに渡ったそうです。

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1895(明治28)年31歳の時にお菓子工場の掃除の職に就いたそう。そこでも日本人であるというハンディを持ちながらも西洋のお菓子を作る技術を学んだそうです。二度目の渡米では約5年の年月をかけてお菓子作りの方法を学び、1899(明治32)年に日本・横浜へと帰国したそうです

 

日本でのマシュマロとキャラメルなどの販売を開始した森永製菓創業者・森永太一郎

1899(明治32)年に日本に帰国した森永太一郎は、現在の東京赤坂で西洋のお菓子作りを始めたそうです。まず最初に作ったのは、マシュマロだったそう。

マシュマロの材料は、おもに卵白・ゼラチン・砂糖・水など。日本でも手に入る材料だったのかもしれませんね。キャラメルも創業当時から作られていたそうです。日本の気候でも溶けたりせずに食べられるようにと森永太一郎が改良を続けてきたそうです。

1905年には、安倍昭恵さんのお父さん・松崎昭雄さんのおじいさん・松崎半三郎さんを森永製菓へ迎えて本格的に販売を開始したそうです。

森永太一郎さんは、すごいバイタリティのある方なのですね。1800年代は、船でアメリカまで行くことになると思うのですが、それをものともせず、そしてアメリカに渡って、技術を学ぶのはたくさんの苦労があったことと思います。

そして、貿易商をされていた安倍昭恵さんのお父さんのおじいさん、松崎半三郎さんと一緒に商売を始められたそう。とっても興味深い人生なので、NHKの朝の連続テレビ小説とかで、ドラマ化してほしいと思いました。

 

最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

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