安倍晋三内閣から菅内閣へと変わった2020年。そんな菅内閣の中でも注目したい1人が河野太郎氏。河野太郎氏と言えば、政治家一家のサラブレッド。
ですがサラブレッドらしからぬ個性的なファッションや、歯に衣着せぬ発言でいつも世間の注目を集めています。将来は、総理大臣かと言われている河野太郎氏。
そんな河野太郎氏について見ていきましょう。
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河野太郎の大学はどこ?慶応を退学後、アメリカ・ポーランドの大学へ?
生まれたときからサラブレッドの河野太郎氏。親戚一同が歴史の教科書に登場するような有名人ばかりなので、名門大学に入学、卒業しているかと想像してしまいます。
河野太郎氏の経歴は、中学は慶應義塾中等部、高校は慶應義塾高校と進んでいます。慶応義塾高校を卒業後は、慶応義塾大学に入学。
ですが、入学から2カ月で早くも河野太郎氏は慶應義塾大学を退学してしまいます。18歳の4月で入学し、1学期を終了する間もなく6月には退学してしまったことになります。
そしてその夏のマサチューセッツ州の東北部・アンドーバーというところでサマースクールに参加したそう。その後、コネチカット州の全寮制学校(ボーディングスクール)のサフィールドアカデミー(Suffield Academy)に1年在学します。
ボーディングスクールとは、全寮制の学校のこと。そしてサフィールドアカデミーは、演劇や音楽などのアーティストやバスケットボールやスノーボード・ゴルフなどのスポーツなどを学ぶことができる学校のようです。
サフィールドアカデミーのホームページを見た感想としては、自由活発・意欲的・自発的に学ぶことができそうな印象を受けました。そんなのびのびとした学校で19歳の河野太郎氏は、1年間日本ではできない体験をしたのでしょう。
そして日本で言うと大学2年の年度の9月に19歳の河野太郎氏は、アメリカの首都・ワンシントンにあるジョージタウン大学に入学します。ジョージタウン大学と言えば、卒業生には、第42代アメリカ大統領・ビルクリントン、スペイン国王のフィリペ6世、ヨルダン王国国王のアブドゥッラー2世など、各国を率いるリーダーたちを輩出しています。
日本で言うと、元国連高等難民弁務官(上智大学名誉教授)の緒方貞子さんも卒業されています。
河野太郎氏大学まとめ
1981年(昭和56年・18歳)4月 慶應義塾大学・経済学部経済学科入学
1981年(昭和56年・18歳) 2カ月ほどで退学
1981年(昭和56年・18歳)夏 マサチューセッツ州にてサマースクールに通学
1981年(昭和56年・18歳)9月 コネチカット州・サフィールドアカデミーに通学
1982年(昭和57年・19歳)9月 ワシントン・ジョージタウン大学(比較政治学)に入学
1984年(昭和59年・21歳) 〃 休学
ワルシャワ経済大学(旧・ポーランド中央計画統計大学)に交換留学
1985年(昭和60年・23歳)1月 ワシントン・ジョージタウン大学(比較政治学)に復学
1985年(昭和60年・23歳)12月 〃 卒業
河野太郎の嫁・香さんの活躍がすごい!
河野太郎氏のお嫁さんは、河野香さん。海外で暮らしていた帰国子女だそう。小学5年生の時にオーストラリアから帰国したとか。
学校を卒業してからは、銀行勤務していたそう。英語能力の高さをいかして、河野太郎氏の父・洋平氏がC型肝炎となり手術をする際には、海外からの文献を取り寄せ読み込んでいたとか。
政治家のお嫁さんとなるというと、良家の子女という印象ですね。河野太郎さんのお嫁さん・香さんも河野家に見初められてのお見合いだったのでしょうか。
そんな河野太郎さんのお嫁さん・香さんは、元総理大臣の安倍晋三氏のお嫁さん・安倍昭恵さんとも親交が深いとか。
2020年2月/アメリカ議会日本研究グループ・配偶者との懇談
アメリカ議会の日本研究グループが日本を訪れた2020年2月には、時の首相夫人・安倍昭恵さんと一緒に研究グループの配偶者一行と交流されたそうです。
2018年6月/アジア婦人友好会設立50周年祝典
2018年には程永華駐日中国大使夫妻が出席された婦人友好会設立50周年祝賀式典にも出席されています。
この式典に出席されたのは、当時の皇后・美智子皇后、安倍昭恵首相夫人、麻生千賀子副総理夫人など。
2019年12月/いけばなインターナショナルフェア2019
2019年12月に開催された祭典『いけばなインターナショナルフェア2019』では、名誉総裁の高円宮久子殿下をはじめ、各国の大使夫人らが出席されたそう。
河野太郎氏のお嫁さん・河野香さんも、安倍昭恵夫人とともに出席されていたそうです。
河野太郎の父・河野洋平氏への生体肝移植とは?
河野太郎氏の父は、言わずと知れた政治家の河野洋平氏。河野洋平氏は2002年、C型肝炎を患い、息子である河野太郎さんから腎臓の移植を受けたそうです。
そもそも河野太郎氏の父・河野洋平氏が体の異常を感じ始めたのは、1976年(昭和51年)ごろからだと言います。病名は、肝機能障害。
異常な疲れを感じながらも、政治家を務めていらっしゃったことになります。そんな中、1997年(平成9年)には、肝硬変のような状態となっていたそう。
そして2000年(平成12年)には黄疸が現れ始め、肝臓機能が低下することによる意識障害までもが出現していたとか。
そして河野太郎氏が肝臓の移植手術を申し出て、息子・河野太郎氏からの肝臓の移植を受けたそうです。
河野洋平氏は、2009年に政界を引退されています。
河野太郎の息子・一平さんの学校はどこ?
河野太郎さんの息子さんは、河野一平さんというそう。2002年、河野太郎さんの父・河野洋平さんへの生体肝移植をする際、河野香さんは、息子の一平君を妊娠中だったそう。
河野一平さんは、2002年生まれだそう。2002年生まれというと、2020年10月時点では、18歳、高校三年生の年齢となります。
河野一平さんの在学している高校や、卒業した中学の情報はほとんどないのですが、政治家一家の河野家のご子息とあれば、父親の河野太郎氏と同じく慶応義塾高校であっても納得がいきます。
いずれ河野太郎氏の後をついで、政治家として活躍されることもあるかもしれない河野一平さん。今後の情報を待ちたいと思います。
河野太郎の顔色が良くないのはなぜ?
河野太郎氏は、子供のころからアトピー性皮膚炎があるそう。アトピー性皮膚炎というと、乾燥など、何らかの理由により肌にかゆみを伴い炎症を起こす皮膚病。
河野太郎氏も塗りクスリなどでアトピー性皮膚炎の症状を少なくしているそう。管理人自身もアレルギーもちで、急性アトピー性皮膚炎になったこともあるので、その痒みの不快さは何となく想像できます。
河野太郎氏の顔色が良くないように見えてしまうのは、アトピー性皮膚炎が原因のようです。
河野太郎のマスクまとめ
河野太郎氏というと、政治家の中でもそのファッションが個性的という印象があります。ジーパンにサスペンダーにテンガロンハット。西部劇に登場する開拓者さながらのファッションも、河野太郎氏のその個性的なキャラクターがまとうと様になってしまいます。
そんな河野太郎氏の選ぶマスクが個性的と話題になっています。マスクコレクションをまとめました。
航空自衛隊広報室が作成したマスク
迷彩マスク
湘南ベルマーレのマスク
湘南ベルマーレ会長の河野太郎氏らしく、湘南ベルマーレ柄のマスク。
大磯 照ヶ崎マスク
太郎マスク
紙製使い捨てマスク
まとめ
『河野太郎の大学はどこ?父や嫁・息子は誰で顔色についてやマスクコレクションまとめ』としてまとめてきました。個性的なファッションと、ツボをついた発言で目が離せない河野太郎氏。
家族を思う優しい面もあり、政治に対する厳しい面もあり、これからもご活躍期待しています。
最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。
コメントありがとうございます。