日本の元総理大臣である小泉純一郎さん。2022年現在80歳です。内閣総理大臣をされていたのが、2001年4月~2006年9月まで。5年もの長い間総理大臣をされていたのですね。
現在は、政界から引退されています。息子で政治家の進次郎さんに子供さんが生まれているのでおじいちゃんとしてのんびり過ごす時間もあるのかもしれません。
そんな小泉純一郎さん、見れば見るほど華麗な家系図で驚きます。
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小泉純一郎の家系図がすごい!
小泉純一郎さんは言わずと知れた日本の政治家。とはいっても、2008年に政界を引退されているので、政治家である小泉純一郎さんを知らない方もいらっしゃるかも。
そんな小泉純一郎さんのお祖父さんは、小泉又次郎という日本の政治家でした。そして、小泉純一郎さんのお父さんも政治家の小泉純也さん。
小泉純一郎さんの息子さんというと俳優の小泉孝太郎さん、政治家の小泉進次郎さんは有名。ですが、小泉純一郎さんにはもう一人息子さんがいらっしゃいます。
宮永佳長(みやもとよしなが)さんという方。小泉純一郎さんとお母さんの佳代子さんが離婚されてから生まれているので、母方の名字を名乗っているそう。
小泉純一郎の父親・小泉純也がイケメン過ぎる
小泉純一郎さんの父親である小泉純也さんは、小泉純一郎さんのお祖父さんの小泉又次郎さんの娘・小泉芳江さんと結婚され、婿養子となっています。
小泉純也さんは、9人兄弟の8番目だそうなので、お婿さんになるのもうなずけます。
小泉純也さんは衆議院議員の岩切重雄(いわきりしげお)さんの書生となり、日本大学法学部政治科の夜間部に通ったそう。
そして、小泉純一郎さんの祖父・小泉又次郎さんの所属する立憲民政党で働くようになり、その娘・小泉芳江さんと結婚することになります。
この結婚について、小泉芳江さんの父、小泉又次郎さんは大反対だったとか。結婚を許してもらえない純也さんと芳江さんは、反対を押し切って一緒に暮らし始めたそう。
その時のアパートが、東京青山の同潤会アパートだとか。小泉純一郎さんは、1942年生まれ。子供の頃の小泉純一郎さんと父・小泉純也さん。
小泉純一郎さんかと見間違うほど、そっくりです。ちなみに小泉孝太郎さんと小泉進次郎さんと一緒に写る小泉純一郎さん。
お父さんとそっくりです。
小泉純一郎の元嫁・宮本佳代子さんの離婚理由とは?
小泉純一郎さんは、宮本佳代子さんとお見合いの後、1978年に結婚されます。ですが結婚生活は、たった4年ほどで離婚を迎えます。
宮本佳代子さんは、1957年生まれ。青山学院在学中に15歳年上の小泉純一郎さんとお見合いしたそう。ご結婚されたのが1978年なので、21歳の時に36歳の小泉純一郎さんとご結婚されたことになります。
政治家一家にお嫁に行き、小泉純一郎さんの3人のお姉さんたちやお姑さんがいる中で、若い妻・宮本佳代子さんが口をはさむすきは一切なかったのではないかと想像します。
長男の/さんは1978年生まれ、次男の小泉進次郎さんは1981年生まれ。そして、離婚する際には、小泉純一郎さんの三男となる赤ちゃんがおなかにいる状態だったそう。
宮本佳代子さんが、小泉孝太郎さん、小泉進次郎さんと離れ離れになったのは、小泉孝太郎さんが3歳、小泉進次郎さんは1歳くらいの時だったことになります。
とてもつらい経験ですね。
でも宮本佳代子さん自身のその後の人生を考えると、小泉家と縁を切って正解だったのかもとも思います。
小泉純一郎の長男・小泉孝太郎
小泉純一郎さんの長男は、言わずと知れた小泉孝太郎さん。政治家になることを期待されて育ったのだろうと想像しますが、実は、父・小泉純一郎さんは、小泉孝太郎さんが政治家になることに反対したとか。
政治家以外で夢中になれることを探しなさいと、政治家となることを許さなかった理由は何だったのか気になります。
2000年22歳の時には、石原裕次郎を探せというオーディションに挑戦するものの身長が180㎝に届かないことを理由に落ちてしまったそう。
石原裕次郎さんと言えば、小泉家とは遠い親戚にあたる家。小泉孝太郎さんの叔父・小泉正也さんの結婚相手である叔母・美枝子さんのいとこが石原裕次郎さんの兄・慎太郎さんの奥様になっていらっしゃいます。
なのでその昔、法事があるとよく、石原慎太郎さんの息子さんたち、政治家の石原伸晃さん、タレントの石原良純さん、政治家の石原宏高さん、画家の石原延啓さんと顔を合わせていたとか。
小泉純一郎の次男・進次郎が政治家になった理由とは?
小泉純一郎さんの次男・小泉進次郎さんは、2007年アメリカから戻り、父である小泉純一郎さんの秘書となります。
兄の小泉孝太郎さんでなく、弟の小泉進次郎さんを後継者にしようと思った理由は何だったのか気になります。
親目線でいうと、同じ性別の子どもがいたとしても性格って、本当にその子その子それぞれだと思います。
親の目線で息子たちを見てきて、政治家に向いている、向いていないを見極めてきたのだろうと想像します。
政治家って、日々の生活に密着していて、すごく泥臭い仕事のように感じます。そんな泥臭いところに弟、小泉進次郎さんの方が向いていると感じられたのでしょうか。
小泉純一郎の三男・宮永佳長さんとは?
小泉純一郎さんが元妻・佳代子さんと離婚されたのは、1982年。その時にはすでに、佳代子さんのお腹には、宮永佳長(みやもとよしなが)さんがいたそう。
政治家の妻として、後継者を産むことはきっと、最大の務めだったと想像します。古いしきたりで作られていそうな小泉家を離れるときには、宮永佳代子さんの精神状態は追い詰められていたのかも知れません。
小泉純一郎さんの家系も華麗なのですが、宮永佳代子さんの家系も華麗です。宮永佳代子さんのお祖父さんは、元エスエス製薬会長の泰道照山(たいどうしょうざん)さん。
泰道照山さんには、1男5女の6人の実子のほかに一人養子がいました。宮永佳代子さんのお母さんは、泰道家の長女・志計子さん。
泰道繊維系の会社、東洋化工で専務だった宮本輝久さんとご結婚されました。宮永佳代子さんが18歳くらいの時にお父さんがなくなられています。
宮永佳代子さんの叔父たちには、泰道リビング社長や全日警の会長、エスエス製薬の社長、会長、名誉会長、自由民主党の議員、などなど、華麗なる経歴の方々ばかり。
宮永佳長さんは、そんな華麗なる家系の中で育ったことになります。ですが、宮永佳長さんに対して、母・佳代子さんは、サラリーマンの息子なのだと、おごることなく誠実なしつけを行ってきたようです。
宮永佳代子さんは離婚後、三井不動産に就職し、シングルマザーとして佳長さんを育ててこられたそう。そして佳長さんも、三井不動産に努めていらっしゃるそうです。
まとめ
『小泉純一郎の家系図がすごい!父親や嫁、息子(俳優・政治家)と三男の存在とは?』としてまとめてきました。
小泉純一郎さんの家系図も華麗でしたが、元妻・宮永佳代子さんの家系図も華麗でした。
政治家一家の古いしきたりの中で、兄弟離れ離れにならざるを得ず、それぞれの人生を全うしてこられているのだと思いました。
最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。
コメントありがとうございます。